価値観が壊れた

読書をしていたらある本のあとがき部分の言葉に混乱した。

 

 

『以前、元下院議長で少なくとも八人のアメリカ大統領に仕えてきたジム・ライトに質問したことがあります。「各大統領に共通する際立った資質や特徴を一つ教えていただけませんか?」

 

彼は私にリストを渡して、こう言いました。「偉大な大統領は、自ら進んで称賛を受け入れる。君も進んで称賛を受け入れられるようになることだ。自分の息子、娘、子供たち、そして周りの人からの称賛を喜んで受け入れてほしい。君が称賛を必要としているのではなく、周囲がモデルを必要としているんだ」

 

私はこの「称賛を受け入れる」能力をなかなか伸ばすことができませんでした。周りの人から「あなたは私の人生を変えてくれました。私を救ってくれました」と言われても、身振り手振りでそれを否定していました。』

 

 

 

脳からバリバリって今まで常識としていた価値観が壊れた音がした。私も長い間、称賛を受け入れることをしない、全く同じ行動をとってきてしまった人だった。自分より遥かにすごい人は世の中に多くいる、その人達に追いつきたいと思うあまり、自分のことしか見えていなかった。例えば、「あなたに会えて良かった」とか「あなたのおかげで自分は変われた」と涙を流して感謝されたとしても、握手やサインを求められたとしても、そんな大したことをしていないですよと思っていたので、実感がなかった。素っ気ない態度をとってしまったと思う。

 

謙虚でいるつもりだった。まだまだ先にいくぞという向上心だった。だけどそれは、自分中心の、利己的な考え方だった。

 

相手の立場に立つことをしていなかった。称賛をしてくれたその人達にとって、私の存在は、他の誰にも替わりができない「モデル」だったんだと気付かされた。今すぐ、態度をあらためよう。

 

 

『あなたなら私達よりも、ずっと大きなことができるでしょう』

 

と、最後に締め括られてその本は終わった。

 

なんかずっと感動がつづいてその後買い物に行ったスーパーでも思い出し泣きしそうだった。

 

 

 

 

毎日の瞑想習慣

幼い頃から「美」に興味があった。

 

マセていたので、自宅にあった、ルイヴィトンのバッグを眺めながらなんて美しいデザインなんだろうと思っていた。言葉には表せないような「美」の持つ壮大なエネルギーが好き。

 

同時に、人間にも、興味を抱いてきた。

人間の美しさは、造形美だけではないと思っている。ひとりひとり個性をもっていて、その人がその人らしく生きている姿が美しいと感じてしまう。

 

ずっと、どうしたら、関わる人達の輝きを引き出していけるのだろうかと考えてきたし、その技術を追求するために仕事や勉強をしてきた気がする。私という人間が、誰かの「美」を引っ張りだす機能であることが喜びなんだと気付いたのは、朝の瞑想教室をするようになってからだった。

 

とにかく興味のままに突き進んできて最終的にどこに辿り着くかなんてわからなかったけど、引き出されていく女性たちの「美」を見ながら、何年もかけて進んで見たかった景色はこれだったかもしれない。と、少しずつ感じはじめた。でもまだ、不確かで、もしかしたらもっと先に何かがあるのかもしれないけど。ひとつ言えるのは、やりたいことなんて進まないとわからないものだなということ。進みながら途中で絶景ポイントに出くわして「もしかしたらこの瞬間が味わいたくてやってきたのかも。やりたかったことは、コレかも!」と気付いたりする。

 

私が提供している機能はいたってシンプルで、

「内面美を引き出す」というもの。

 

無意識的に自分以外の人間の価値観や思考のパターンに支配されて身体のなかに残ってしまったエネルギーを抜いていき、眠っている潜在能力を呼び起こす。よくクライアントさんたちに、「どうしてそんなことができるの?」「なんで私の考えてることがわかったの?」などと驚かれるんだけど、こればっかりをずっとやってきたからとしか言いようがない。

 

すべて自分の目でみて確かめないと気が済まないタイプで、この先生はすごい!と思ったら会いに行って、弟子にして下さいとお願いしてきたし、今後もそうするつもり。その環境を作り上げて師匠より凄くなりたいといつも野心をもっているから、かなり先駆的な機能は作れるようになった。さっきも書いた通り、当初はそんなつもりはなかったけど、もっとすごくなりたいと突き進んできたら、こんなものが出来上がってしまった。

 

ということで、美しくなれる瞑想教室に興味ある方(女性限定)は、連絡ください。